| 院長早わかり表 |
| 1969年06月05日岡山県岡山市で五体満足、ロケット弾のように誕生 |
小学生1年のときに入院アレルギーが酷い為、学校はほとんど行けてないが奇跡的に進級。
入院中は母方のおばあちゃんに面倒を見てもらいました。
この時は甘ったれのおばあちゃん子でした。 |
小学生の時は町内のソフトボールをやってました。
運動も勉強も良くなかったですが、視力だけはよかったです。 |
中学生でバレーボール部に、しかし再びアレルギー再発。
ドクターストップにて帰宅部へ。 |
中学校3年生 受験日前日に緊急入院!!
顔色があまりに悪いので病院へ行ってレントゲンを撮っている最中に倒れました。
(ドラマのように急にバタッと倒れました。)
なんと胃潰瘍による出血多量でした。
血液濃度は半分を切っていたよで急激な輸血はアレルギー反応を起こし危険な状態でした。
父親がすぐに来てくれて「自分の血を輸血してくれ〜」と感動的な場面に遭遇しましたが、
そんなのはドラマの中だけで両親の血でも直接の輸血はアレルギーがでると反対されました。
フラフラでベットにて輸血の準備ですが、輸血用の針は太く、自分の血管も浮き上がらず
看護婦さんも大変そうでした。
「あっ」と言う声にベットを見ると血まみれ!!
この光景に血の気が引きました。
(精神的にやられ病人モードに突入)
輸血パックを5つほど体内に淹れ試験を受けにいきましたが、惨敗。
ただ他の高校に受かっていたのでそちらに。
|
高校ではUWFというプロレスと北斗の拳にはまりました。
男子は強い男に憧れるんですね〜。
身体が弱かった分特に。
伝統派空手など習いに行ってました。 |
高3に空手の師匠佐野真先生と出会い格闘技の基礎を教えてもらいました。
身体も丈夫になり佐野先生から教えてもらってどのぐらい強くなったか試すため
アマチュアシュートボクシング大会に出場
みごと惨敗。
これがきっかけで岡山ジムに入門。
いい先輩・後輩に恵まれプロになることができました。 |
プロシュートボクサーとしてトレーニングだけでなく身体のケアも心がけました。
いろいろ通いましたが、カイロプラクティックの施術を受け楽になりました。
そこで通っていた岡山カイロプラクティックの若佐先生から
大阪にいい学校(実はカイロ界の虎の穴)があると聞き
「日本カイロプラクティックカレッジ大阪校」に入学 |
「日本カイロプラクティックカレッジ大阪校」でもいい先生・先輩・後輩に恵まれました。
(易学で自分は目上の人や周りに恵まれるそうですが本当に当たってました)
本当に大変な2年でした。(虎の穴に偽り無し)
一生の中で一番勉強した時ではないかと思います。
卒業後はインターンや先輩の治療院を手伝いながら勉強しました。
|
現在「日本カイロプラクティックセンター東川原」にて治療に勤しんでおります。
末永いご愛顧よろしくお願いします。 |